設立趣旨

日中両国は一衣帯水の善隣であります。数千年来の交流の歴史を見れば、互いに理解を深め双方の長所を良く知りあうことが経済・文化の発展に大きく寄与していることがわかります。

 

世界の中でのアジアの地位が高まる一方である現在、特に日本と中国が様々な交流を通じて絆を深めることが大きな意味と役割を持つものであります。

 

経済・文化の新たなる発展を目指すべく、交流を拡大・促進して行くにあたり、両国の「架け橋」的役割を持つものは絶対不可欠であると私は考えております。交流を実際的現実的観点から見た時、そこに必要とされるのはまず知識であり、調査・実行・管理といったあらゆる対応力であります。

 

それらを全て備えた有能な「架け橋」が機能してはじめて、制度・文化の異なる二つの国がスムーズに交流を深めて行けると言っても過言ではないでしょう。

 

現実にはいろいろなトラブルも生じます。交流を深める過程では避けて通れぬ必然であるとも言えます。しかし、そのトラブルを解決し、更なる発展へとつなげていくことこそ大切であると考えます。

 

日中投資開発コンサルティング株式会社は日中経済文化交流の発展のためになくてはならない強いチャンネルになると私は確信しています。どうぞ皆様のお力添えをお願いします。

1989年4月14日
日中投資開発コンサルティング株式会社(現トマック)設立時
岡崎嘉平太の挨拶

弊社最高顧問 故 岡崎 嘉平太

故 岡崎 嘉平太
故 岡崎 嘉平太

1897年岡山県生まれ。

 

1922年東京帝国大学法学部を卒業し日本銀行に入社。1938年陸軍省事務嘱託で上海に駐在した後日銀を辞め、大使館員として勤務、終戦を迎えた。戦後、中国当局との交渉に尽力し日本人の安全な引き上げに大きな役割を果たした。

 

帰国後は、全日空社長を務めるなど経済界で活躍する一方、国交が断絶していた1950年代に中国との友好商社を通じた貿易の実現に取組む。

 

1962年、寥承志(後の中日友好協会会長)・高崎達之助(元通商産業大臣)両氏間で調印された『日中覚書貿易協定』に基づき『覚書貿易(LT貿易)』が開始されて戦後日中貿易は新たな局面を迎えた。この覚書貿易事務所の日本側代表に就任したのが岡崎で、戦後一貫して日中経済交流の中心的役割を果たし、1972年の日中国交正常化へと導いた。

 

その後も覚書貿易事務所の民間交流機能を引き継ぐ機関である日中経済協会の常任顧問として日中交流の発展に努めた。

 

岡崎嘉平太は101回の訪中を通じて生涯日中友好事業の発展に尽くし、周恩来首相と深い友情を結んだ。1989年死去。現在でも中国で最も尊敬されている日本人の一人である。